最後の夏休みの話。
特にこれといった動きは無いので、伏線を張ったり過去に触れたり。初登場人物が沢山で結構分かりにくい。
□「青い鳥」と無題
盲信物語のラストに対する(対比する)形としておかれているのが、夏物語のラスト「青い鳥」。夏の間に冷静になって、「彼女」から貰った物は多かったことに気付く「私」は、現状を綺麗な形に昇華させます。負の感情の入る隙のない開き直り方です。
文語としての語り口調ではなくて、実際「私」は「ワタヌキ」に話しかけていると③で明らかになりますが、結末を聞いてワタヌキは何故か悲しそうな顔をします。
「青い鳥はね、『ある時から、元から青かったことになったんだ』」
と言う「私」は実存主義的な考え方で現実を肯定しまし、暗にワタヌキと自分の事情を揶揄しているのですが、それはこの時点では明かされていません。
□「バレンタイン」一連
「バレンタイン・クライシス」と「8月のバレンタイン・デイ」は「私」にとっての「彼女」とシミ先生
(=好意を持つ人間)の対比です。
「私」が「彼女」に渡したのは50円チョコ。シミ先生には5円チョコ。プラス、「彼女」には悪戯心の仕掛けつき。
プレゼントからも分かる通り、もちろん「彼女」に対するほうが気持ちは大きいのですが、結果として賢明な判断を下したのはシミ先生のほうです。「8月のバレンタイン・デイ」で、ほぼ初対面(本当は違うのですが)のシミ先生にプレゼントを渡すことが、どこか変だと分かっている「私」は名乗りをあげません。それ以前に「彼女」に対したような強い感情も持てておらず、それゆえ自身の存在を知らしめる必要もないと考えていて、状況を終始冷静に記憶しようとしています。
無意識ではなく能動的に記憶を「支え」に変換しようとしているのが、「戦争物語」「大会物語」との明らかな違いです。それを成長ととるか退歩ととるかは、また別の話なのですが。
ちなみに「バレンタイン・クライシス」は時系列的に戦争物語に入る話ですが、分かりやすさを追求し回想として挿入しました。(盲信物語のラストは逃避行シリーズと交互になっていたのですが、物語ごとに読むと何を言っているのか分かりにくくなるので。)
それだけでない自身の負い目に関しては、字面の通りで、祭物語「スカート」「嫌悪感」あたりでも言及されています。「センセイ」が指摘した「自分に対する自信のなさ」と引っ掛けると、自分に自信がないから名乗りを上げなかった、ともとれますが、そのあたりは深読みの範疇。